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京アニ事件の被疑者の逮捕・勾留

京アニ事件について

 

書くのをちょっと迷ったのですが、書くことにします。

 

京都アニメーション放火殺人事件は、36人の死者、33人が重軽傷を負ったという凄まじく悲惨な事件です。ご遺族・負傷者・関係者の辛さは想像を絶するものだと思います。もし、自分の家族が犠牲者だとしたら、犯人を自分の手で殺したくなるほど憎むだろうと思います。

 

報道によると、5月27日に、事件発生から10か月を経て、被疑者が逮捕され、その後、勾留されたそうです。

 

今回は勾留について少し考えたいと思います。

 

勾留というのは、罪を犯したとされる被疑者が、拘置所や警察署に身柄拘束される制度です。10日ないし20日(例外的に25日)の勾留後に、起訴される(裁判になる)場合もあります。これを身柄事件といいます。覚醒剤事件は典型ですね。

逆に、罪を犯したとしても、スピード違反等の道路交通法違反の事件や軽微な万引き事案だと、逮捕・勾留されないこともあります。しかし、在宅で起訴(身柄拘束がされない状態で、裁判になる)可能性もあります。これを在宅事件といいます。

 

(1)身柄事件

  ・逮捕→勾留(10日 or 20日)→起訴→[裁判で審理]→判決(有罪・無罪等)

   なお、起訴後は、保釈制度により、保釈される場合もあります。

(2)在宅事件

  ・(逮捕・勾留はされず、)起訴→[裁判で審理]→判決(有罪・無罪等)

 

皆様は、京アニ事件について、「あれ? 事件からだいぶ経ったのに、今頃、被疑者が逮捕・勾留されたの?」と思われたかもしれません。

 

報道によれば、被疑者は、自らも重傷を負い、容態が安定していなかったそうです。今回、医師によって、被疑者は「勾留に耐えられる」と判断されたようです。

 

なお、勾留手続きは、法律上、検察官が勾留状を請求し、裁判官が勾留を決定すると定められています。

つまり、判断者は、裁判官です。

 

逮捕・勾留の要件

法律上では、犯罪の嫌疑があることを前提に、

逮捕・勾留には、

 

(1)罪証隠滅のおそれがあること (目撃者に口封じをしたり等)

(2)逃亡のおそれがあること (海外に逃げる等)

 

が必要と定められています(刑事訴訟法60条1項、207条1項。なお、逮捕については、刑事訴訟法規則143条の3)。

これは、勾留をするための法律の要件ですから、これを満たさないと勾留されません。

 

さて、京アニの被疑者は、上記(1)(2)の要件を満たすでしょうか。

 

典型的には、2つの意見が考えられます。

 

(1)「そりゃ、こんな酷い事件を起こしたんだから、死刑等を回避するために、証拠隠滅や海外逃亡するでしょ。逮捕・勾留すべき。」

 

(2)「被疑者は、現在、自分で立ち上がることさえできない。そうすると、罪証隠滅も逃亡も実際上、不可能なのでは? 逮捕・勾留の要件を満たさないのでは?」

 

本件の担当裁判官は、(1)逮捕・勾留の要件は満たす、と判断しました

 

一方、本件についてネットをみると、逮捕・勾留の要件(罪証隠滅のおそれ・逃亡のおそれ)は満たされない、とする学者・弁護士の意見も多いようです。

 

皆様はどうお考えになりますか?

 

留意すべき点

 

感情的に、「酷いことをした奴は、警察署(拘置所)に入れておくべき。」と思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし、 留意しなければならない点があります。逮捕・勾留は、刑罰ではない、ということです。刑罰については、ちゃんと、裁判で有罪判決が出た後に、死刑や懲役〇〇年といった刑罰が科されることになっています。

 

それでは、なぜ、裁判になる前に、一定の場合(重大判決等の場合)に逮捕・勾留されるかというと、罪証隠滅や逃亡により、捜査が妨害されることを防ぐためです。

 

本件では、どうでしょう。報道によれば、被疑者は、自分で起き上がることさえできないそうです。罪証隠滅や逃亡は、現実的に不可能ではないかと思われます。なお、自殺のおそれというは、逃亡のおそれには該当しないと解されています。あの世に逃亡する、というのはちょっと解釈として技巧的に過ぎますよね。

 

ゴーンさんのように海外逃亡を助けてくれるチームを雇えるの可能性があるのであればともかく、仮に雇えるとしても、被疑者は、楽器の入れ物に入って飛行機に乗り込むといった行為に耐えられる体調ではないと思われます。

 

もう1点留意しなければならない点は、逮捕・勾留しなくとも、在宅のままで、取り調べは可能であるということです。寝たきりだとしても、警察官や検察官が被疑者のところ(病院など)に赴いて取り調べができます。在宅事件でも、ちゃんと取調べをして、起訴することは可能です。

 

でも、裁判官は、(1)逮捕・勾留すべきである、と判断しました。

 

事案を「『抽象的⇔具体的』に捉える」というテクニック

 

本件において担当裁判官が勾留を認めた具体的な理由(根拠)はわりません。

しかし、推測するに、「本件は世間的にも注目される極めて重大な犯罪である。このような重大犯罪にあっては、(抽象的には)罪証隠滅のおそれも、逃亡のおそれも認められる。」と言ったところでしょうか。

なお、「抽象的には」を括弧にしたのは、心の声を表現するためです。

 

「もし、検察官からの勾留の請求を却下したら、世論がどう思うだろう。」というのも頭をよぎったかもしれません。しかし、これは、勾留の要件とは無関係です。

ちなみに、「勾留に耐えられる」とする医師の医学的判断も、勾留の要件ではありません。

 

ここで、一番ご説明したいのは、「抽象的には」という点です。

 

一般に、「抽象的には、そういうおそれはあり得るよね、でも具体的には、そういうおそれはあり得ないよね。」ということがあります。

たとえば、私は、抽象的には、日本人で、日本の内閣総理大臣になる可能性(=おそれ)がある。理科系の菅さんも総理大臣になりましたしね。しかし、具体的な私の置かれた状況をみてみると、その可能性(おそれ)は限りなくゼロに近い、という具合です。

 

事案を抽象的に捉えることで、(罪証隠滅や逃亡)の「おそれ」は簡単に認定できてしまいます。軽微な事案でも「抽象的には」罪証隠滅・逃亡のおそれは想定できますし、、本件のような重大事案ではなおさらです。起き上がることができない被疑者でも「抽象的には」罪証隠滅・逃亡のおそれがあると言てしまうのです。

 

たとえば、軽微なスピード違反(道路交通法違反)についていえば、逮捕・勾留されないことも多いですが、抽象的には、有罪になるわけだから、それを避けるために、罪証隠滅・逃亡のおそれあるよね、ともいえます。しかし、具体的には(具体的な事情を見ると)、被疑者が、スピード違反の証拠を警察署に壊しに行ったり(笑)、スピード違反で罰せられるが嫌で、配偶者や子供を捨ててどこかに身を潜めたり、東南アジア等に海外逃亡したりはしないわけです。

 

事案を「抽象的に捉える」⇔「具体的に捉える」というテクニックで、勾留の要件の充足の有無をどちらに転がすこともできるのです。世論を敵に回さないように、勾留する方向で考えることもできるのです。さて、それで本当に良いでしょうか。もし、自分が被疑者になったら・・・。もし、それが冤罪だとしたら・・・。

 

事案を「『抽象的』⇔『具体的』に捉える」というテクニックは、審査官が、進歩性の判断において、引用文献を組み合わせて進歩性を否定する際にも使えてしまいます。

 

ものすごく余談ですが、「抽象⇔具体」テクニックは、特許要件である進歩性において引用文献を組み合わせる際の審査官のテクニックとしても使えてしまいます。

 

つまり、引用文献1、2を「抽象的に」(=上位概念的に)認定することにより、技術分野の同一性、機能の同一性等を認め、一方で、阻害要因を消し去ることにより、両者の組み合わせを容易にすることができるのです。

 

具体的に両引用文献を捉えれば、技術分野も違うし、機能も違うし、阻害要因もあるような場合でも拒絶の理由は書けてしまうのです。もちろん、私は、そのような恣意的なテクニックを使って、拒絶はしてませんでしたが。その恐ろしさは実感していました。

これは、テーマ違いなので、あらためてお話することにします。

 

まとめ

 

勾留の要件である(1)罪証隠滅のおそれ、(2)逃亡のおそれは、「抽象的に」捉えれば、安易に認めることが可能です。

 

でも、これらを「具体的に」捉えると、本件のような重大犯罪であっても、自分で起き上がることさえできない被疑者には、それらのおそれが認められないはずです。

 

本件の裁判官は、この2要件を(おそらくは、「抽象的に」捉えて、)認めました。

 

恐ろしいのは、「抽象的に」捉えることによって、全ての犯罪の被疑者は罪証隠滅・逃亡のおそれがあり、全て勾留が認められるという解釈ができてしまう(=恣意的に運用できてしまう)点です

 

人権(身体の自由)を制約する際の法律の解釈ですから、恣意的に判断されると、とても怖いですね。

 

自分が逮捕・勾留を想像してみてください。皆さんは、犯罪なんてしないと思われるかもしれませんが、自動車の運転での事故や、酔った勢いで人に怪我を負わせるなど、十分にあり得ます。普段はごく普通に生活されている方が、突然、逮捕・勾留されて慌てふためき、留置場で泣く姿を何人も見てきました。ましてや、冤罪だとしたら・・・。

 

余談

 

余談ですが、法律の解釈といえば、検察庁の解釈や、常習賭博罪の「常習性」の解釈など、最近はよくニュースで話題になっていますね。

法律やその解釈については、芸能人だけでなく、皆さんも是非関心を持って頂ければうれしいです。あっ、知財関係では、種苗法改正もそうですね。

 

私は、法律家の末席に座っておりますので(裁判官、検察官は立派な法律家)、法律の要件の中でも逮捕・勾留の要件というのは、身体拘束という人権を著しく制約するという効果を発生させるものですから、個別・厳格に判断すべきだと思います。

 

(本件とは直接関係ありませんが、)一般論として、被疑者を精神的肉体的に追い詰める身柄拘束により、捜査機関に虚偽の自白をさせられ、冤罪を生んでいる、ということも是非知っておいてください。

 

本件では、被疑者は、自分で立ち上がることもできないそうです。罪証隠滅・逃亡のおそれは具体的に想定されません。勾留しなくとも、任意で取り調べをし、検察官が起訴し、裁判所が有罪か否か、有罪の場合の刑罰をどうするのかを判断すればよいだけです。無理に勾留する必要があったでしょうか。もし、無理に勾留する必要があるとすれば、それは、「世論」かもしれません。世論は、(マスコミの意図も相俟って)ときに恐ろしい化け物にもなります。

 

今日はいろいろ書きすぎました。

 

京アニ事件の被疑者は、勾留する必要はなかったと思いますが、今後、有罪と判断された際には、その恐ろしい犯罪行為に値する十分な刑罰をもって償ってもらいたいと思います。

 

(追記)

弁護人は、準抗告(=勾留決定に対する不服申し立て)をしているようなので、結果を待ちたいと思います。