はじめに
今回は、否認事件(=無罪を主張する事件)の悩ましい問題について記事にしたいと思います。
否認事件
「それでも僕はやっていない。」
痴漢をした身に覚えがないのに、痴漢の犯人と間違われて逮捕されてしまう、そういうことも、世の中では無くはありません。
同意の上で、性交に及んだのに、後で、相手方から「同意はしていなかった。無理やりやられた。」と言われ、強制性交等罪(昔の強姦罪)に問われることもあります。微妙な関係の男女において、ときどきある話です。
さて、被疑者・被告人は、
「私は、やっていない。」「相手の同意があったんだ。」
ということであれば、弁護人としては、被疑者・被告人が無罪であるとして、全面的に争います。
悩ましい現実
しかし、悩ましい現実が待っています。
逮捕されてから、一旦、無実を争うと、
被疑者は、
「当たり前のように」10日間勾留され、
「当たり前のように」更に10日間勾留され、
「当たり前のように」起訴(裁判)になり、
起訴された後、
被告人としての勾留が1か月、2か月、3か月と・・・
続くことが現実としてはあります。
もちろん、勾留取消、保釈請求という手段がありますが、否認事件の場合は、自白事件(=罪を認めている事件)と比べて、圧倒的に、身柄が釈放される可能性は低いです。
そうすると、往々にして、こういう状況が生まれます。
被疑者・被告人が、
「罪を認めれば、釈放されるのでしょうか。やっていなくても、
罪を認めた方が早く出れるのであれば、そうしたいです。」
というのです。
これは、弁護士になってから、無罪を主張する被疑者・被告人から、何度何度もも言われました。
無罪を争うより、罪を認めてしまった方が、(早期に身柄釈放される可能性が高く、トータルで)被疑者・被告人に利益になってしまうという現実です。
これは、何ともやるせない気持ちになります。
「弁護士としては、無罪なのであれば、最後まで戦いましょう!」
と励ましますし、(少なくとも私は)刑事弁護人としてもやる気満々なのですが、勾留が長期に及ぶと、被疑者・被告人は疲弊し、仕事を失い、戦えなくなってしまうのです。
これが普通ではない!
無罪を主張するから、勾留が続く(身柄釈放の可能性が低くなる)というのは、明らかにおかしいです。
無罪を主張するのであるから、正々堂々、逃げも隠れもせず、裁判で戦うのですから、在宅で、仕事をしながら、裁判にのぞめるようにすべきなのです。
警察署の留置施設や拘置所に勾留されていて、まともに戦えるわけがありません。
(結果が出ていないのに)身柄拘束が当たり前という状況は、何としても今後改善しなければならない日本の悪しき刑事実務です。
最近では、裁判所が、勾留が認めない方向には進んでいますが、まだ、不十分です。原則、身柄拘束無しでなければなりません。
だって、まだ推定無罪ですよ。
「身柄を拘束する」というのは、あらゆる人権制約の中で、もっとも、制約が強い処分です。有罪が決まっていないのに、身柄拘束が継続するなんて、おかしい。
自分で、朝起きる時間も、寝る時間も、ご飯の時間も、ご飯の種類も、お風呂も、物を買うことも、何もかもが制限されるのです。物凄い人権の制約ですよね。
逃亡のおそれ、罪証隠滅(=証拠隠滅)のおそれについての「抽象的な危険性」で、被疑者・被告人の勾留が、いとも簡単に継続されてしまうのは不当です。
と熱く語ると、ゴー〇さんのように、海外逃亡してしまう人もいますので、「おいおい」とはなりますが・・・。
最後に
否認事件にあたると、「あちゃー」と思う弁護士もいる一方、「おっ、無罪を争う事件か!やってやろう!」とやる気満々になる弁護士もいます。私は後者です。
一般的に、99.9%負けると言われる戦いをするのって、ワクワクしませんか。勝ったら、凄いわけですから。
一方で、被疑者・被告人は、否認することにより、身柄拘束が続き、疲弊していきます。
これでは、弁護士がやる気満々でも、勝てないですよね。
この悪しき刑事実務が少しでも改善するように、常日頃からこの現実について、あちこちで、文句ばっかり言っていこうと思います。