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特許実務-発明報償金の辞退

はじめに

 

これまで、(既存の教科書とは違う視点で)「特許入門」というタイトルで記事を書いてきたつもりです。

 

実際の特許実務では、教科書や本に明確に答えが書いていない論点に出くわして、色々悩みます。今後は、このような論点を「特許実務」で取り扱いと思います。答えのないものも出てくるかもしれません。

 

また、私が、独断で興味を持った(必ずしもメジャーではない)裁判例も、「特許実務」の中で取り上げていと思います。

 

私の仕事は主に知財案件(主に、特許案件)ですが、約8割が「紛争」案件(揉め事)です。

具体的には、特許権の侵害・非侵害を検討したり、特許の無効論を検討したり、警告文(C&Dレター)を書いたり、侵害訴訟等の書面を起案したりといった仕事がメインです。ちなみに、英語と日本語の割合は、半々ぐらいでしょうか。

 

しかし、残りの2割くらいは「契約」案件もあり、共同研究開発や特許発明等の実施許諾等の契約書を起案したり、レビューしたりする仕事もあります。

 

その「契約」案件の中には、使用者(会社)の職務発明規程についての起案・検討があります。職務発明に関する法改正やガイドラインが出た前後で、相談が結構多くなっていましたが、最近はやっと落ち着きました。

 

今回の発明報償金の辞退(正確には、「相当の利益」についての債務免除の有効性及び手続)について、少しご説明したいと思います。

 

発明報償金の辞退

 

使用者(会社など)が発明者(従業員)に対し、職務発明規程に従い、出願報償、登録報償、実績報償金等を支払うことがありますが、これらを受領することを発明者が辞退する際の問題点です。

 

会社としては、職務発明規程に従い、発明者が辞退したと処理していたところ、後で、発明者から、

 

「そもそも報償の受け取りを辞退なんかしていない。」

「辞退したのは、この発明についての報償ではない。」

「辞退したのは、〇年の時期のものであって、△年の時期のものではない。」

 

と、発明者から後で言われて、報奨金を請求されるという紛争を避けたいところです。

 

そもそも辞退に問題はないか

 

(労働法の話になりますが、)労働の対価としての労働者の賃金の場合は、賃金全額払いの原則労働基準法24条1項本文)があり、労働者による(使用者に対する)賃金債権の放棄については、判例上、厳格に(無効や不存在により認められない方向で)判断されていることが多いようです。

 

さて、特許法における「相当の利益」(昔は「相当の対価」でした。)も、賃金債権と同様に考えるべきでしょうか。

 

「相当の利益」は、職務発明に対する従業者のインセンティブとしての性格を有するものですが、使用者が職務発明について特許を受ける権利を取得又は承継したことを要件として、従業者に与えられるものですから、ある種の対価的な性格を有するものです。

 

しかし、

 

① (確立した判例はありませんが、)職務発明については労働法の適用はないと解されており(たとえば、「実務解説職務発明 平成27年特許法改正対応」[商事法務] Q56)、また、

 

② 「相当の利益」は、その内容がガイドライン記載の適正な手続に従って、職務発明規程当の定めに基づき決定された場合には、通常はその決定が尊重されるべきとされていること

 

等からすれば、実績報償金等の「相当の利益」についての放棄は、民法の債務免除(民法519条)として考えてよいように思われます。

 

放棄(債務免除)の手続きについて

 

先に述べたような、後に従業者から実績報償の受取り辞退の「撤回」(正確には、意思表示の無効ないし不存在)を言われる等の紛争を避けるためには、

 

(1)職務発明規程(細則)で、従業員から報償金の受取りの辞退について明文規定を置くこと、

(2)従業員から、署名(・押印)入りの「辞退届」等を書いてもらうこと、

  ※押印については、後述。

(3)「辞退届」には、辞退の対象をできる限り明確に特定(記載)すること

  ※例えば、出願後であれば出願番号、発明の名称その他の特定事項、出願前であれば、技術内容や開発時期等で特定することが考えられます。

 

を予め明確に定めておく必要がありそうです。

 

私が、担当した何件かの大企業の職務発明規程には、あまり、「報償金の辞退」に関する規定は見られませんでした。

しかし、(引用はしませんが、)ネットで公開されているいくつかの職務発明規程では、それが規定されているものもありました。

 

押印について

 

従業員の辞退届への「押印」については、あった方がいいが、(今のコロナ渦で、)なくても、文書の成立の真正に関して、他で立証を代替できるのであれば、必須ではないといったところでしょうか。

 

なお、契約書一般に言われることですが、「押印」は契約にどのような意義があるのかという点です。今までは、当たり前のように契約書等には押印がされていましたが、コロナ渦で、押印ができないという状況が発生し、あらためて押印の意義が取り上げられるようになりました。

 

内閣府等から、今年(令和2年)6月19日付けで、「押印についてのQ&A」として政府の指針が発表されています。特に、これまでの契約実務とそれほど異なるものではありませんが、押印の意義を(軽視とまでは言いませんが、これまでの実務よりも)重要視しない方向で、一歩踏み込んだ内容とも言えるかもしれません。

 

https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kisei/publication/document/200619document01.pdf

 

まぁ、イメージとしては、(日本の長年の慣習や実務からすれば)できれば契約書等には自署だけでなく、押印もしておいた方が無難だけど、コロナ渦で押印も難しい場合には無くてもまぁ、他で何とか立証できればいっか、といった感じでしょうか。

 

まとめ

 

使用者(会社等)が、発明者(従業員)が受け取る発明報奨金の辞退の手続きを、職務発明規程で規定することは、特に問題はないと思います。

しかしながら、後の紛争を避けるべく、手続を適正に定め、辞退届などをちゃんともらっておく必要があります。

そうはいっても、(予想外に)発明により使用者(会社)が大きな利益を受けたときは、たとえ、現行法及びガイドラインの下で、職務発明規程を手続きに則って定めたとしても、発明者(従業員)から使用者(会社)に対して、「相当の利益」を請求する紛争は生じ得るように思います。まぁ、仕方ないですよね。

 

本件とは全く関係ありませんが、私は、現在、使用者(企業)側で、職務発明訴訟を代理していますが、色々大変ですね。